練習の在り方の話をしよう~年齢で決めるのはありえない~

基礎とは?

野球関係に限らず、様々なスポーツに関してもそうですが、「基礎トレ」とか「基礎は大事だ」とよく聞きますよね。

でもちょっとまってください。

 

基礎は基礎でも基礎ってなんでしょうか?

 

そもそもの話ですよね。笑

しかも、「基礎」という話をする際に、多くの場合絡んでくるのが、

 

年齢・年代に合った基礎

 

またもや、謎な言葉がでてきました。

結論から言えば、

 

「基礎」という言葉にたいして意味はありません。

 

指導する側の人間が耳障りの良い言葉として使用しているケースがほとんどです。

反論がでてきそうですが、実際のところ、「基礎ってなんなのか?」という問いに答えられる人はいないのではないでしょうか?

「全ての動きにとって必要となる筋力」、「身体をささえるために必要な体力」・・・・などなどと言った声が聞こえてきそうですが、

 

それって何?

 

って感じです。笑

誤解を恐れずに言えば、基礎なんかなくても、試合で結果出せれば野球選手はそれで言い訳です。

年代ではなく人で分ける

さて、その辺りに関して腑に落ちないような話をしていきます。基礎なんてないと言っているにも関わらず、使いまくります。笑

どんなスポーツも、いつの時代も基礎練習は地味で面倒な練習が多いと思います。

それは、小学生、高校生、社会人などの年代別に強度などが変わり、その年代に合った基礎練習をすることが定番です。

 

この定番こそが落とし穴です。

 

定番化というのは様々な弊害を生みます。

人は十人十色なので、年代別に定番化してしまうことは、必ず見合わない人が出てくるということです。

年代別基礎練習として定番化すると、効率化ははかれるとは思いますが、必ずといっても過言ではないほど、「ダメになる」選手も出てきます。

もしこの選手が個別にその選手独特のものを伸ばす練習をしていたら・・・。もしかしたらとんでもない選手となっていたかもしれません。

基礎とは、人それぞれが異なりますので、個人個人が自分の基礎を知っている必要があります。

それは数値(タイムや寸法など)ではかれるものではありません。

現状の自己を知り、今の自分の状態にプラスアルファとなるものを知り、その繊細なところを感じることだと思います。

その中で、与えられた基礎練習が今の自分に当てはまるか否かを判断し練習に取り組む必要は大いにあると思います。

つまり、「基礎」という言葉は、指導する立場が、効率的に集団を管理しやすくするために作られた言葉です。

そしてそれは、その瞬間において優秀な選手を伸ばすためだけに作られたメニューであることが大半です。

まだそれならましな方で、過去にいた優秀な選手が、たまたま成長した練習方法を考えなしに継続しているケースさえあります。

集団行動を理由に、やりたくもない、そして結果も出ない練習を行い、自分のスポーツ人生を棒に振ってもいいのでしょうか??

それとも自分を押し通し、納得いく結果を残せる基礎を作るのでしょうか。

 

決めるのはすべてあなたです。

そして、今の現状をつくっているのも、今までのあなたの決断です。

 

一般サラリーマンの50歳とプロスポーツ選手の50歳で基礎は同じでしょうか?

あなたと、隣にいる人は同じですか?

今一度、考えてみる必要性があると思うのは、私だけでしょうか。

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