技術の上達において体罰が必要か
野球に限らず、スポーツ現場での体罰に関してかなり神経質に取り上げられる時代になってきました。
私が高校時代は、殴られる、蹴られるなど当たり前の時代でしたので、それがおかしなことだとは特に気にはしていませんでした。
しかし、ここ近年、叩いた、触れたなどのことが体罰ということでニュースに出るまでシビアに捉えられるような時代です。
体罰がいいのかどうかは、人それぞれの意見があり、また時代の流れもあり、本題とはそれるので、触れないでおきます。
今回の記事でお伝えしたいことが、「体罰」が野球の技術上達において必要であるのか、不必要であるのか、という点について考えていきたいと思います。
時代にあった練習法がある
もちろん今の指導者達が学生だったことは体罰はあたり前の時代だったと思います。そして体罰をしなければ、すぐにさぼってしまっていた世代なのかもしれません。
しかし、今の現役の選手たちは体罰では動きません。
しっかりと理論正しく説明して納得しなければ練習すらしません。体罰が必要かどうかを考える以前に、純粋に野球の上達を考えれば、この事実の方が大切ではないでしょうか。
体罰では動かないのですから、上達はしません。上達しないのであれば指導者とは言えません。
また、この情報社会ですから、練習方法や科学的な要素等はすぐにネットで検索して拾って来ることも可能です。
そんな中で、指導者がそれに対して適切に理論立てて答えを説明できない場面が多々あるため、スタッフと選手間のわだかまりのようなものが感じられるようになってきました。
それとは反対に、面白いのが、理論立てて説明すれば、現役選手達はサボろうとはしません。ある意味、生真面目なところをもった選手が多いです。
ちょうど私たちの年代層(40歳前後)は、狭間にいるような世代で、体罰の時代も、理論正しく説明して納得させる時代、の両方を見ています。
指導者が理論的に説明できない
全ての指導者ではありませんが、理論的に指導ができていない方が多いと思います。
言っていることが間違っているというわけではなく、「いいからやれ!」とか「口答えするからダメなんだ!」という表現では今の選手たちは言うことは聞きません。
もっと科学的な部分を織り交ぜて納得できるように説明する必要があると思います。
これは正しい、正しくないのレベルのハナシではなく、選手それぞれ個性があるように、世代でもそれぞれ個性が存在しています。
絶対的に目指さなければならないことは、
何がなんでも上達すること
なので、指導者は今の現役世代にあった方法を追求するべきですし、現在の選手は自分にあった練習方法を模索するべきです。
選手たちは、すべてが正しいわけではありませんが、監督やコーチの意見も取り入れつつ、ネットなどで自ら調べたことも加味した上で、練習に取り組む姿勢が大切だと思います。
与えられるだけがすべてではありません。
また、指導者は、理論的に話すためにも、一定の勉強カリキュラムを行えばしっかりしたライセンスが付与されるようなライセンス制度作りをするのもいいのではと思います。
体罰が良いか悪いかは別としても、理屈抜きの体罰というのは行ってはいけないのは間違いありません。それはただのストレス発散でしかありません。
体罰が必要かどうかのレベルの話をしてる場合ではなく、どうやったら上手くなれるのか、純粋に考える必要があるのではないでしょうか。