試合のための練習ってどういうこと? ~完璧である必要はない~

試合のための練習ってどういうこと? ~完璧である必要はない~

練習のための練習と、試合のための練習が明確に存在しています。

「監督」や「コーチ」にもよく言いませんか?

「練習のための練習ではなく、試合のための練習をしろ!」

と。

しかし、練習の内容に変化はありますか?

内情は、上記のように言われるだけで、特に何か対策がなされているようには思われません。

少なくとも意識をすることも大切ですが、意識するならば行動を変えなければ意味がありません。

では、「練習のための練習」と「試合のための練習」の違いとは何でしょうか。

それは

緊張感

です。

「試合」では一つのミスが、負けにつながることがあるものの、「練習」ではいくらミスをしても問題ありません。

このことを考えると一つのことが分かります。

それは、

ミスばかりして改善が全く見込めないような練習を繰り返すことを「練習のための練習」といい、一つのミスもしないような状態で練習することを「試合のための練習」という

ことです。

しかし、練習で試合と全く同じように行えというのは無理があります。

緊張感も、場所も空気感も違います。

さらに、そんな意識には「デメリット」も存在しています。

それは、野球は「確率のスポーツ」という点が影響しています。

練習であまりに完璧にしてしまうと、試合でミスする確率が高まります。

打率は何回打席に立てば、何本ヒットが打てるという確率勝負です。

つまり「連打」が続けば「凡打」の確率が高まるということです。

投手も防御率が1点台なら好投手ですが、この好投手が、1試合を7イニング目まで「完封」していたとすると、残りの2回で1点以上点を取られる確率が非常に高いということを意味しています。

つまり、練習中に完璧な状態、「仕上がりが上々だ」という状態では、「大会中」の大切なところで致命的なミスをすることも考えられるということです。

完璧により近い状態で大会を迎えるということは、とても安心ですし、大切なことです。

しかし、上記のようなデメリットも発生していることも考えておかなければいけません。

そのため、一番いいのは常にフラットを保って良いときも悪い時も自分らしくいられることです。

不思議と甲子園や全国大会に進むようなチームに多いのが、

・「大会の中で上達していった」
・「ヒーローが日替わりだった」

というような現象です。

こういった現象が出るのも、野球が「確率のスポーツ」である所以の面白さかもしれません。

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