野球界の練習が無意味とはどういうことなのか
「野球型革命所」では、これまでに、野球界が無意味な練習ばかりしているとお伝えしてきました。
この意見に関して、賛否両論あることは理解しています。
「無意味な練習をしていると認めたくない思い」や「純粋に今の練習が意味があると信じている人」もいらっしゃると思います。
また「意味のないことなんてない」と全てを否定される方もいらっしゃるでしょう。
しかし、我々も含め、否定をされる方も皆が野球界のためを思って発言をしています。
では、このようなギャップが生まれてしまっているのはなぜでしょうか。
その原因は、
「野球」というスポーツに見出す価値の捉え方が異なるために起きている
のではないかと考えています。
本日は、野球界の練習がどういった観点で無駄だとお伝えしているのか、詳細に記していきたいと思います。
野球界が無意味な練習を続ける理由
例えば、「野球」というスポーツを
「人生の一つ」、「人生勉強の一環」、「人間的な成長を望む場」として捉えた時
「無駄な練習」と言えるものはなくなってきます。
しかし、
「他人との勝負」、「甲子園に出たい」、「プロ野球に行きたい」といったことを実現したいと考えた時
無駄で無意味な練習というのは存在しています。
というより現状の日本の野球界における練習の大半が無意味だと言えます。
「野球」に見出す意味は、「選手」、「監督・コーチ」、「父兄」などで様々な解釈や願いがあります。
そのため、どうしても意見の食い違いが出てきてしまいます。
「野球肩革命所」がこれまで記してきた内容は、
9割異常が勝負に勝つためにすること、ライバルに勝つ方法、甲子園や、プロに行く方法に特化
して掲載してきています。
野球は道具を使います。
その道具でさえ最先端のモノを手に入れればベストとは言えません。
メーカーも商売なので、選手のパフォーマンス向上が常に最優先ではありません。
道具の流行り廃りといった側面からも、「選手のパフォーマンス向上」という観点を考えれば無意味な練習を増やしている一つだと言えます。
あなたは何のために野球をやっているのか
初めにも書いたように、野球を「人生の勉強」、「青春を楽しむ」、「人間的成長を果たしたい」ということを目的としているならば、無意味な練習など存在しません。
今行っている練習が、非合理的で上手くなれない練習であったとしても、それは選手にとっても意味ある練習と捉えられると思います。
私もそういう理由があるのであれば全力で無意味な練習など存在しないと賛同します。
しかし、この考え方はどこまで選手のためになっているのでしょうか。
選手は何を考えているでしょうか。
少なからず選手は、
「試合に出たい」、「試合で活躍したい」、「甲子園に行きたい」、「プロやメジャーリーグに行きたい」という「夢」や「目標」を持って、毎日の過酷な練習に耐えている
のではないでしょうか。
「人間的成長が一番大切」などという綺麗事だけでなく、「上手くなる方法」や「試合に出る方法」を純粋に追求してもいいのではないでしょうか。
「人間的成長」や「社会的勉強」はとても大切なことです。
しかし、「上手くいかなかった」、「試合に出られなった」、「甲子園に行けなかった」ということ逃げ道に、「行けなくても、成長したからよかった」では、一般的社会であっても勝ち残ることはできません。
常に逃げの一手になってしまいます。
それでは「人間的な成長」も望めないと感じるのは私だけでしょうか。
野球を通して「勝負に勝つこと」、「勝つ方法を効率的に学び行うこと」が、野球以外においても、将来的に生き抜く知恵として残るのではないでしょうか。
「考え方」や「捉え方」によって無意味な練習は確実に存在します。
そのためには、あなたが何を求めているのか明確にしなくては判断のしようがありません。
一点気を付けていただきたいのは、「野球」に求める価値を押付けないで欲しいということです。
指導者は人間的な成長を求めていても、選手自身がプロを目指しているのであれば、技術的な向上につながる指導をしてあげて欲しいと思うのは私だけではないはずです。