野球を一生懸命やっても試合に出られないのは当たり前

野球を一生懸命やる「内容」の重要性

「一生懸命」という言葉を否定したかのように思えた方もいるかもしれませんが、それもまた捉え間違っています。

「一生懸命にやる」という意味をはき違えていることに問題を感じています。

本来の在り方は

「このチームには何が足りなくて、自分はどういう風に関われば試合に出場できるか考えた上で、それに適応した選手になるために一生懸命練習する」

という形です。

一生懸命やる「内容」が大切です。

決して、「一生懸命やる」ことを悪だと言っているわけではありません。

少なくともレベルが高くなれば、実力がどんどん拮抗していくので、最後の差を生み出すのは「努力」です。

しかし、ただ用意されるメニューを一生懸命やるのは、「奴隷」と変わりません。

「今日もいい汗かいたなー」レベルの話です。

そんなことのためにあなたは野球をやっているわけではないはずです。

何のために野球をやっているのか、今一度考えてみてください。

これを考えるのに遅いということはないと思います。

大事なことなのでもう一度言います。

野球の神様はあなたなんて見ていませんよ。

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